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当山の歴史

近年、寺岡の元三大師として知られる当山の正式名称は、寺岡山施薬院薬師寺と号す。

寺伝によると、聖徳太子の命よって建立され、『下野八薬師』と称されていたと伝えられている。

元文年間(江戸時代)東山天皇の第三皇子、崇保院宮前天台座主准三后一品公寛法親王が、

上野東叡山寛永寺(輪王寺門跡第六世門主)をされていた時、足利市寺岡町出生の亀田庄左衛門則重公が、

永年身命を賭しての忠節を認められ、【 日本に3幅 しか現存しない】元三慈恵大師尊影御真筆を拝領する。

その後、自家に安置して礼拝恭敬していた所、『困窮の人、救済すべし』という元三大師自らのお告げを受け、

元三慈恵大師尊影御真筆を寺岡山施薬院薬師寺(後の寺岡山元三大師)に奉納するに至る。

以来、寺岡山薬師寺は寺岡山元三大師として厄除け・商売繁盛の祈願寺として江戸の人々の信仰を受ける。

檀家をとらず、祈願寺のみの寺院として歩んできた経緯には、当時の栄華と信仰の顕れが伺える。

また頃を同じく(江戸期)、祈願寺として人々の信仰を集めていたのが川崎大師、西新井大師である。

当山の境内には、皆様の憩いの場となる様、四季折々の花を咲かせ、特に萩の季節は見事であり、

近年に於いては、『下野の萩の寺』として称讃を賜っている。

参拝風景
参拝風景2

■本堂外観と内陣

 本堂正面の大きな提灯には、「元三大師」と書かれ、お大師様尊影を宮様から頂戴した証である、「菊の御紋」が施されています。鰐口が三基付けられているのは、元三大師様の「三」に因んでのことです。
 内陣は、密教様式です。ここで毎日、護摩が焚かれおり、中央にご本尊である元三大師様を祀った菊の御紋を施した宮殿をご安置し、左より不動明王様、降魔大師様、右に薬師如来様をご安置しております。

参拝風景3

元三大師

ここで元三大師についてご説明申し上げます。
 元三大師は名を良源、諡号を慈恵大師という。正月三日に亡くなられたから元三大師と呼ぶようになった。これは尊敬の表示であり、信仰の現れである。元三大師は、一千年前に出られた比叡山中興の祖師である。廃頽した諸堂を復興し三千人の僧侶を養い、教学を興隆し制度を改め、勢力を拡張し形式を革めた。日本の仏教はここに基礎をおいて発展した。元三大師の信仰は全日本にわたって一世を風靡した時代があり、民衆は元三大師を権者または化身として信仰の対象とした。今もなお、角大師のお札がいたる所で各宗を通じて正月に用いられているのは、その名残である。
 元三大師は「おみくじ」の創始者である。仏教各宗はもとより、神社にまでも行なわれているが、これを知る人は少ない。元三大師を信仰するものは、僧にあってはその寺院は必ず興隆するし、一般にあっては無事であり、息災であり、家運は永続する。信仰が薄れたり、信仰を他に移したときは必ず変化がある。歴史がこれを伝え、事実がこれを証明している。不思議である。元三大師を信仰するものは一攫千金を夢見たり、派手な結果を望んではいけない。地味に平穏と無事を祈り、正しい望みを希うときのみそのご利益がある。元三大師は全く不思議な方である。
                (天台座主大僧正 山田恵諦著 元三大師より)

■元三大師御尊影

元三大師御尊影

大師は、おみくじの創始者であり、又、厄除大師・降魔大師・角大師・豆大師などともいわれ、今なお、魔除けの護符として民家の門口に貼られます。元三大師を信仰する者は息災であり、家運は永続します。大師は、如意輪観世音の化身といわれ、当山では、関東最大の大石像を安置しております。
(秘仏のため、御前立ち本尊を掲載)

■元三大師宮殿

元三大師宮殿

元三大師宮殿には、金十六弁の『菊花御紋章』を打ち奉り目も眩きばかりの御体相なり。開帳は毎年大晦日から7日まで、毎月初三の日をもって縁日とし、正月三日をもって大縁日とす。

■亀田庄左衛門則重公画像

亀田庄左衛門則重公画像

亀田庄左衛門則重公は、出生地である寺岡山薬師寺に元三慈恵大師尊影ご真筆をご寄進して頂いた大恩人です。(亀田家所有)

■公寛法親王位牌

公寛法親王位牌

崇保院宮前天台座主准三后一品公寛法親王は、東山天皇の皇子にて、正徳五年五月二十日上野東叡山寛永寺第六世門跡を御受職され、元文三年三月十五日薨 御年四十二歳。当山のご本尊元三大師は公寛法親王直筆の尊像と云われております。(亀田家奉安)